文化・歴史
市指定文化財 [唯信寺梵鐘銘(ゆいしんじぼんしょうめい)]
【製作】文政5年(1822)
【形態】縦34.0cm、横80.5cm(表装 縦97.5cm、横134.0cm)
【作者】松平宍戸藩第5代藩主 松平頼救
松平頼救は、宝暦6年(1756)水戸藩第5代藩主徳川宗翰の6男として生まれ、明和3年(1766)宍戸藩主松平頼多の養子となり、宍戸藩第5代藩主に就任した。
水戸藩の「垂裕閣法帖」(中国の書道全集)の編さんに中心的役割を果たした水戸藩を代表する能書家であった。
天明の大飢饉後、唯信寺住職唯定とはかり、北陸地方の農民を宍戸藩領に移住させる入百姓政策をすすめた。
唯信寺の梵鐘の制作にあたり、頼救が銘文を書いた。梵鐘は太平洋戦争中、軍に供出されたため現存しないが、その書跡が寺に保存された。