文化・歴史
市指定文化財 [湯崎城本郭跡(ゆざきじょうほんかくあと)]
【規模】東西300m、南北200m
湯崎城跡は、大字湯崎字館内の涸沼川と桜川の合流点に向かって突出した台地に位置している。この城は、南北朝時代の康永3年(興国5、1344)、宍戸朝里によって、宍戸城を守る東南方面の備えとして築かれたといわれている。
文明13年(1481)、小田・笠間・宍戸氏らの連合軍と水戸の江戸氏が、小鶴原(茨城町)で戦った。その合戦で、湯崎城が連合軍の前線基地になった。天正19年(1591)、佐竹氏の常陸統一、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田転封によって廃城になった。現在は大部分が栗畑で、西虎口(出入口)近くは牛舎になっているが、本郭跡とみられる北側には土塁や空堀、曲輪(くるわ)、櫓台(ろだい)、惣堀(そうぼり)など中世城館の跡をよくとどめている。