市指定文化財 木造獅猊 (もくぞうしげい)
【年代】 明治時代前期
【像形】 像高 阿形:59.5cm、吽形:57.0cm
本像は、明治10年(1877)に東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会に後藤縫之助が出品し、花紋賞牌を授与された作品である。阿・吽の1対からなり、阿形像は丸い球を口に咥え、吽形像は籠彫りの手毬を前足で押さえる。800年前のケヤキの古材を用いて彫られたと伝えられ、木目を生かした力強い作品である。台座には牡丹が彫られ、願主、寄付者、制作者の刻銘がある。本像は、町内の篤信者により、笠間稲荷神社の境内社である琴平神社へ奉納されたといわれている。
後藤縫之助は、文政8年(1825)に下総国猿島郡猫実村(坂東市)に野口弥五左衛門の子として生まれた。15歳で宮大工後藤茂右衛門に弟子入りして修行を積み、25歳で後藤姓を名乗ることを許され独立した。52歳の時に、明治政府の内務卿で同博覧会審査官長であった大久保利通より、今後の作品に「花紋賞牌後藤縫殿之助」の銘を使用することを認められたといわれる。その後も宮大工として、県内外の寺社仏閣に数多くの作品を残した。