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市指定文化財 [宍戸城址土塁(ししどじょうしどるい)]

宍戸城址土塁

【規模】幅5.4m、高さ1.5m

慶長7年(1602)、佐竹氏の秋田転封にともない、秋田城之介実季(さねすえ)が宍戸5万石の藩主として宍戸城に入った。秋田氏は鎌倉以来の名門宍戸氏の城郭を大幅に修築し、本丸、北の丸、土塁、堀、さらに城下の整備をした。土塁の南側に本丸、北側に堀があり、北の丸、五輪郭に続いていた。本丸北側に末広稲荷神社が祭られている。宍戸城は、伝承によると建仁3年(1203)に宍戸家政が築いたといわれている。宍戸氏の城館については、岩間郷の館岸山、涸沼川べりの山尾館、富士山の要害、八反山の奥尻館、橋爪の古館などが知られている。秋田氏の宍戸城の城域は宍戸駅南の大部分を占め、連郭式館城の形態で、土塁と堀割で構成されていた。
秋田氏は正保2年(1645)奥州三春(福島県三春町)に転封となり、宍戸地方は幕府領となって城も破却された。その後、天和2年(1682)徳川光圀の弟頼雄(よりかつ)が宍戸1万石に封じられた。宍戸松平家は常府制で城を持たなかったが、天明期(1781~88)に旧宍戸城本丸跡に陣屋を築いて藩庁とし、行政を担当させた。ここには、民政局、藩校脩徳館(しゅうとくかん)、講武所、藩主居住地などがあった。

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