笠間焼について
歴史
江戸時代中期
笠間焼の歴史は江戸時代中期、安永年間(1772~1781年)から始まります。箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で焼き物を始め、窯を築いたとされています。
幕末~明治時代
後に、笠間藩の仕法窯として保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られた。幕末から明治時代にかけては江戸に近い利点から、大量生産をし技術者や従事者も飛躍的に多く増加しました。明治時代には特に厨房用粗陶品の産地として知られていました。
戦後
しかし、終戦後、プラスティック製品などの流入などにより、人々の生活様式も大きく変化し、笠間焼の需要は減り、窯元は今まで経験したことのない危機に陥りました。
そのような中、県立窯業指導所や窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され、官民一体となり試行錯誤の末、厨房用粗陶品から工芸陶器への転換を図りました。
近年
平成4年に伝統的工芸品に指定され、近年では、古い歴史に育まれてきた伝統に新たな技法が加わり、「笠間火器」を開発し、土鍋や陶板など新たな商品を生み出しています。現在では、約300人の陶芸家や窯元がいる窯業産地となっています。
陶炎祭-ひまつり-
毎年、GW期間中(4/29~5/5)にたくさんの来場者で賑わう県内最大の陶器イベントである「笠間の陶炎祭(ひまつり)」。 約200人の陶芸家・窯元・地元販売店などが、広大で緑豊かな笠間芸術の森公園イベント広場に集い個性豊かな店作りと作品でお客様をお迎えします。
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