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笠間ゆかりの偉人

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親鸞聖人
(1173年~1262年)
親鸞聖人(しんらんしょうにん)が本拠を構えたことから、今の笠間市稲田は、浄土真宗発祥の地とされ、別格本山・西念寺があります。笠間には、親鸞伝説が数多く残され、弁円との対決を描いた『板敷山の法難』の話は特に有名です。



「小野友五郎」の画像
小野友五郎
(1817年~1898年)
笠間藩士の五男として誕生した小野友五郎は、そのたぐいまれな算術(和算)の才能を買われ、24歳の時に幕府から江戸屋敷勤務を命ぜられました。当時、笠間藩でも下級クラスの武士が幕府に仕えることは極めてまれで、小野の能力の高さを物語っています。幕府では暦作りのための測量に力を発揮し、万延元年(1860年)には勝海舟とともに「咸臨丸」に乗り込み、アメリカへの渡航を果たします。帰国後も数々の業績を残し、勘定奉行にまで出世しました。
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「山下りん」の画像
山下りん
(1857年~1939年)
学生時代にロシア正教宣教師ニコライの洗礼を受け入信し、ロシアのペテルブルグの修道院でイコン画(聖画)の修行を開始。帰国後、イコン画家として明治から大正にかけて建てられた聖堂のために、多くのイコン画を描きました。
大正7年、笠間に帰郷後は、一切絵筆をとることはありませんでした。イコン画に生涯を捧げたりんは、晩年には悠々自適な生活を過ごしたといわれます。

山下りんについて詳しくはこちら(資料館ホームページ、外部リンク)



「木村武山」の画像
木村武山
(1876年~1942年)
狩野派の奥義を学んだ武山は、明治39年に岡倉天心、横山大観らとともに茨城県北端の五浦海岸に移り、創作活動に励みます。
第1回文部省美術展覧会に出品した「阿房劫火」が入賞。日本画家第一人者の地位を築きます。武山は「仏画の武山」と称されるほど仏画に優れていました。高野山金堂壁画をはじめ、晩年には笠間にある大日堂の壁画に情熱を捧げました。



「植芝盛平」の画像
植芝盛平
(1883年~1969年)
合気道の創始者植芝盛平翁は、笠間市の友好都市である田辺市に生まれ、昭和17年、笠間市(旧岩間町)に移り住みました。 86年の生涯において、たゆまぬ求道鍛錬の結果得たものは、「天地人和合の道」。体を鍛え、技を磨くことによって気と心を鍛え、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神でした。翁はつねづね「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」といい、そもそも合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。



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高野公男
(1930年~1956年)
数々の名曲を作ってきた昭和の歌謡詩人。作詞・高野公男、作曲・船村徹のコンビで作られた作品のうち、大ヒットとなったのが、名曲『別れの一本杉(昭和30年)』です。現在、笠間工芸の丘にその歌碑があります。




坂本九
(1941年~1985年)
「九ちゃん」の愛称で親しまれた昭和の人気歌手、坂本九。日米でミリオンセラーとなった『上を向いて歩こう』は世界中の人々に愛された名曲です。
戦時中、笠間の親戚宅へ疎開し、多感な少年時代を笠間の自然とともに育んできました。結婚式を笠間稲荷神社で挙げ、その後市内をパレードしました。また、市立笠間幼稚園には、九ちゃんが寄付したピアノが今でも現役で使われています。



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