国指定文化財 [塙家住宅]
塙家は,関ヶ原役後の慶長7年(1602)秋田家が秋田から宍戸に転封された時に納戸役として随伴し,後に秋田家が正保2年(1645)三春に再転封になった時に,当地に帰農したと伝えられる旧家で,代々割元名主を務めた。現状では,曲がり屋と同じ外観を示しているが,当初は主屋,釜屋が別棟になっていたものである。土間境の柱列及び小屋組がそれを物語っている。主屋と釜屋の間は本来,大樋の架かる場所であり,釜屋の叉首材上端にも母
屋桁の仕口が残されている。
塙家は,関ヶ原役後の慶長7年(1602)秋田家が秋田から宍戸に転封された時に納戸役として随伴し,後に秋田家が正保2年(1645)三春に再転封になった時に,当地に帰農したと伝えられる旧家で,代々割元名主を務めた。現状では,曲がり屋と同じ外観を示しているが,当初は主屋,釜屋が別棟になっていたものである。土間境の柱列及び小屋組がそれを物語っている。主屋と釜屋の間は本来,大樋の架かる場所であり,釜屋の叉首材上端にも母
屋桁の仕口が残されている。