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木村武山 生誕150年
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笠間市が誇る 日本画の巨匠 木村武山

特集_1

木村武山きむらぶざん(茨城県天心記念五浦美術館提供)

明治から昭和にかけて活躍した日本画家・木村武山は、近代日本画の発展に大きく貢献した人物です。
笠間に生まれ、幼い頃から絵の才能を発揮した木村武山は、のちに東京美術学校(現在の東京藝術大学)で学びを深め、岡倉天心おかくらてんしんに従って横山大観よこやまたいかんらとともに日本美術院の創設に参加し、日本画の新たな時代を切り拓く一人として活躍しました。

晩年には、病により、利き手である右手の自由を失いながらも、制作への情熱を失うことなく、「左武山」として左手で筆を執り描き続けました。
ひたむきな姿勢と芸術への深い探究心は、今も多くの人々に感銘を与えています。

生誕150年の節目を迎えた今、武山の歩みや代表作を紹介しながら、その人物像と芸術の世界に迫ります。

年表

和暦(西暦) 満年齢 事項
明治9年
(1876)
0

7月13日に旧笠間藩士木村信義・しゆん(しむ)の長男として、
西茨城郡北山内村大字箱田(笠間市箱田)に生まれる。本名信太郎

明治11年
(1878)
2 この頃、南画家桜井華陵に絵を学ぶ
明治21年
(1888)
12 この頃、既に「武山」の号を用いる
明治24年
(1891)
15 東京美術学校に入学する
明治29年
(1896)
20 東京美術学校を卒業、卒業制作として「高倉帝厳島行幸」を提出する
明治30年
(1897)
21 平泉中尊寺金色堂の修復にあたる
明治31年
(1898)
22 東京美術学校日本画研究科を修了する
明治39年
(1906)
30 横山大観、下村観山、菱田春草とともに五浦に移住する
明治40年
(1907)
31 第1回文部省美術展覧会に「阿房劫火」(三等賞)を出品する
大正元年
(1912)
36 五浦から上京、東京市下谷区根岸町(東京都台東区根岸)に転居する
大正3年
(1914)
38 日本美術院が再興され、同人並びに経営者兼評議員となる
昭和6年
(1931)
55 高野山金剛峯寺金堂の壁画制作に着手する
昭和7年
(1932)
56 郷里箱田の邸内に大日堂建立を発願する
昭和9年
(1934)
58 高野山金堂壁画「成道の図」を完成
昭和10年
(1935)
59 笠間に大日堂が完成し、落慶式を挙行する
昭和12年
(1937)
61 脳溢血で倒れ、笠間で静養する
昭和13年
(1938)
62 旧年の病のため右手の自由を失い、春頃より左手で絵筆を執り、「左武山」の異名をとる
昭和14年
(1939)
63 笠間月崇寺の本堂と庫裡の改修工事にあたり、本堂内陣の壁画「天女図」をはじめ、
格天井、須弥壇、杉戸の障壁画を描く
昭和17年
(1942)
66 11月29日に喘息のため没。法名は泰霊院映誉広彩武山居士
墓は木村家の菩提寺・月崇寺に建立されるほか、自邸内の大日堂に分骨される

 

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