元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのりが高家肝煎・吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさに刃傷に及びました。
浅野長矩は即日切腹となりましたが、吉良義央はお咎めなし。
元禄15年12月14日、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士が、亡き主君の浅野内匠頭長矩の仇討ちを実行しました。
長矩の刃傷事件と赤穂義士の仇討ちは「赤穂事件」と呼ばれ、後に「忠臣蔵」として広く知られています。