伝統・文化

【笠間歴史探訪】元笠間市美術館

カテゴリー:
伝統・文化
再生時間:
2分12秒
2019.07.05
笠間の歴史を探るシリーズvol.2

「閉館し久しき市立美術館 在りしながらの格子窓みゆ」
閉館した笠間市立美術館の建物は、佐白山ろく公園内に往時の姿のまま、ひっそりと保存されています。

終戦後間もなく、笠間町長の根本政太郎(後に笠間市名誉市民)は、これからの笠間町を「文化と芸術のまちづくり」の構想から、昭和25年(1950)に笠間町立美術館を創設しました。

美術館は、明治33年(1900)に明治天皇が行幸されて、宿泊された西茨城第一高等小学校の校舎が、国の特別史跡(行在所)として保存されていましたが、戦後史跡が解除されたことで、この二階建ての校舎を活用しました。

同館の美術品には、近隣市町村の当時の国宝仏像を直接石膏で型どりをして安置しました。
このコピー仏像は、その後「文化財保護法」により、同じ手法ではコピーが出来なくなり、笠間の石膏仏像は日本で唯一の作品となりました。

開館式は11月1日に彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の揮毫(きごう)による看板を掲げ、開眼供養には東大寺官長の北河原公海(きたかわはら
こうかい)大僧正(だいそうじょう)の導師で盛大に行われました。

その後、常土社会員の筆による15点の笠間の歴史画や奈良薬師寺、兵庫県鶴林寺(かくりんじ)の仏像も加えられ、町営の美術館として、世界の美術年鑑にも登載されました。
運営では菊まつりの菊人形入館料と共通券にしたり、各種展覧会を開催もしました。しかし、昭和36年に入館者の減少と諸経費などの理由で、閉館になりました。

同館は、明治中期の建物で、教育、天皇陛下の御座所(おましどころ)、国史跡と歴史が刻まれ、戦後の笠間のまちづくりの根幹の役目を果たしました。
新笠間市の市民憲章に「歴史と文化を大切にし、豊かでうるおいのあるまちに」とありますが、同館の存在はその原点です。北茨城市五浦の六角堂と同様、笠間市でも長く保管されることを願っています。

※この動画は「広報かさま」で隔月連載している「笠間の歴史探訪」を参考に制作しています。

【笠間市HP】https://www.city.kasama.lg.jp/page/page009629.html
【お問い合わせ】生涯学習課(0296-77-1101 内線383)
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