かさまのれきし

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かさまの偉人(いじん)

 

笠間(かさま)ゆかりの偉人(いじん)

親鸞聖人(しんらんしょうにん)

画像:親鸞聖人(しんらんしょうにん)

1173-1262年

親鸞聖人(しんらんしょうにん)が本拠(ほんきょ)をかまえたことから、今の笠間市稲田(かさましいなだ)は浄土真宗発祥(じょうどしんしゅうはっしょう)の地とされ、別格本山・西念寺(べっかくほんざん・さいねんじ)があります。



木村武山(きむらぶざん)

画像:木村武山(きむらぶざん)

1876-1942年

狩野派(かのうは)の技術(ぎじゅつ)を学んだ武山(ぶざん)は、明治(めいじ)39年に岡倉天心(おかくらてんしん)、横山大観(よこやまたいかん)らと茨城県北端(いばらきけんほくたん)の五浦海岸(いづらかいがん)で、創作活動(そうさくかつどう)にはげみました。第1回文部省美術展覧会(だいいっかいもんぶしょうびじゅつてんらんかい)に出品(しゅっぴん)した作品が入賞(にゅうしょう)し、日本画家第一人者(にほんがかだいいちにんしゃ)としての地位(ちい)をきずきます。



山下(やました)りん

画像:山下(やました)りん

1857-1939年

学生時代(がくせいじだい)にロシア正教宣教師(せいきょうせんきょうし)ニコライの洗礼(せんれい)をうけて入信(にゅうしん)し、ロシアのペテルブルグの修道院(しゅうどういん)でイコン画(キリストや聖人(せいじん)の絵)の修行(しゅぎょう)を開始(かいし)。帰国後(きこくご)、イコン画家(がか)として明治(めいじ)から大正(たいしょう)にかけて建(た)てられた聖堂(せいどう)のために、たくさんのイコン画をかきました。



植芝盛平(うえしばもりへい)

画像:植芝盛平(うえしばもりへい)

1883-1969年

合気道(あいきどう)の創始者植芝盛平翁(そうししゃうえしばもりへいおう)は、笠間市(かさまし)の友好都市(ゆうこうとし)である和歌山県(わかやまけん)田辺市(たなべし)でうまれ、昭和(しょうわ)17年、笠間市(かさまし)(旧岩間町(きゅういわままち))に移(うつ)り、武農一如(ぶのういちにょ)の生活(せいかつ)に入(はい)りました。86年の生涯(しょうがい)で、たゆまぬ求道鍛錬(きゅうどうたんれん)の結果(けっか)、「天地人和合(てんちじんわごう)の道(みち)」を見出(みいだ)しました。
※武農一如(ぶのういちにょ)…農業(のうぎょう)と武道(ぶどう)はどちらも自然(しぜん)との調和(ちょうわ)を大切(たいせつ)にするもので、どちらも大切なことである、という意味(いみ)のことばことです。
※天地人和合(てんちじんわごう)の道(みち)…自然(しぜん)もひとも、どれも大切な命(いのち)であるという考(かんが)えのことです。



松井康成(まついこうせい)

画像:松井康成(まついこうせい)

1927-2003年

国の重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)「練上手(ねりあげで)」を保持(ほじ)する陶芸家(とうげいか)。練上手という技法(ぎほう)を集大成(しゅうたいせい)させ、伝統技術(でんとうぎじゅつ)を基盤(きばん)に、個性豊(こせいゆた)かな現代(げんだい)の陶芸(とうげい)のあり方を提示(ていじ)しました。



坂本九(さかもときゅう)

1941-1985年

「九ちゃん」の愛称(あいしょう)で親(した)しまれた、昭和(しょうわ)を代表(だいひょう)する人気歌手(にんきかしゅ)。「上を向いて歩こう」は、日米(にちべい)でミリオンセラーとなりました。戦時中(せんじちゅう)、笠間(かさま)の親戚宅(しんせきたく)に疎開(そかい)して多感(たかん)な少年時代(しょうねんじだい)をすごした縁(えん)で、結婚式(けっこんしき)は笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)であげ、市内(しない)をパレードしました。

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〒309-1792 笠間市中央三丁目2番1号

電話番号:0296-77-1101 ファクス番号:0296-78-0612

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  • 【こうしんび】2014年7月8日
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